えぶり差岳山名考

 

 あどさんがえぶり差岳に登頂され、目出度いな、で終わっておけば良かったのですが、山名は杁差岳、朳差岳のどちら?なんてコメントしたので、大変お手間を取らせてしまいました。 https://yamap.com/moments/767567  そんな訳でボクもちょっと調査というか、整理してみました。内容はあどさんのモーメントと同じようになりましたが、アップしてみます。
 
■0.エブリ発見(2023/11/14追記)
 イナカ家でエブリ発見しました。

横幅:黒いのはスマホです。
長さ:約2.1m
 
■1.えぶりとは? 土の表面を人の手で丁寧に平らにするための農具です。また、田畑の地ならしや穀物の実などを掻き寄せるときにも使うようです。 庄内での「柄振」例:http://koichikato.world.coocan.jp/minpou/minpou2003/minpou2003.6.29/newpage8.htm ギザギザ歯のないものもある 広辞苑では、えぶりは「朳 」「柄振 」で、決して「杁」ではない。 広辞苑では、「杁」は「いり」で「土手の下などに樋を埋めて、水の出入りを調節するもの。水門。」(注:ボクの持っている広辞苑は第3版です) 
 
■2.えぶり差し 「えぶり」で田んぼを丁寧に平らにすることを、「えぶりをさす」という(徳山にお住まいの人のコメント) https://blog.goo.ne.jp/hashinonaikawasuesumii/e/0a7bfb5e8d3bef289ba4915c0faf2ad3#comment-list 仙台や庄内あたりでも言うらしい。エブリ掻きともいう。 
 
■3.杁(いり)は愛知県・尾張(尾張藩領)特有の言い方 
 
要するに、尾張藩で1609年の文書で使われたのが始まりで、それが元で「国字」になった。「手偏に入」や「土偏に入」のバリエーションがある。意味はいずれも水門。
 
■4.ネット検索すると遠賀川右岸の水巻町にも「杁(えぶり)」地名が出てくるが、それは間違い。 
 
  あるブログに、水巻町には昔から杁(えぶり)地名があると書いてあったのに惑わされて調べ直しました。水巻町公式サイトによると https://www.town.mizumaki.lg.jp/s008/qa/020/20201112183809.html 『木偏に八と書いて「えぶり」と読みます。「えぶり」の地名の正しい漢字は、木偏に八と書きますが、インターネット上などで、木偏に入と書かれている場合があります。』と、明確に書いてあります。
  さらに、現在は公式地名は「えぶり」と平仮名です。おそらく、ネットの不動産情報等で相変わらず「えぶり」を「杁」と書いていて(えぶりで変換すると杁になる)正しい標記になっていない。正しい字「朳」が第3水準の漢字で環境依存文字のため、使いにくいので、どうしても「杁」を使ってしまうのを避けたのでしょう。 
 ならば、当地で「えぶり」は昔はどう書いていたか? 
1.「水巻昔ばなし」(柴田貞志著、水巻町長発行、昭和61年11月)によると、「むかし筑前国朳(えぶり)村の遠賀川渡しに、親娘の渡し守りが住んでいた。」というくだりがあります。 https://www.ku-hibino.com/entry/2017/01/08/055700 
2.さらに、同書には、当地にある伝承フレーズとして、「芦屋千軒 関(下関)千軒 京は九万九千軒 朳(えぶり)はたった十三軒」というのもあります。 https://www.ku-hibino.com/entry/2017/02/27/052600 伝承ベースではありますが水巻の「えぶり」の「杁」標記は間違いで、やっぱり朳(えぶり)でした。
  当地の「えぶり」の由来は、同じく『水巻昔ばなし』(柴田貞志著)よると、P93に、水巻町の朳(えぶり)は、「弟の彦火火出見尊が兄の火闌降命と幸を交換して釣針をもらい、これで釣りをされたが一向に釣れなかった。そこで入り海に餌を振りまかれると、魚がよせ集まって大漁となったので、これに由来して餌振(えふり)と名づけたという。」由来は農具でも水門でもないのでした。 https://yamataikoku751.seesaa.net/article/201008article_2.html 
  遠賀川の記紀伝承 15  では、当地では農具の「えぶり」はどう標記するかと言えば、柄振 (えぶり)! https://www.town.mizumaki.lg.jp/museum/040/020/020/190/855.html 
 以上、遠賀川・水巻町の「杁」標記はまったく根拠がないということで、「杁」とは水門の意味で、尾張独特の地名標記なのでした。 
 
■飯豊山系のえぶり差岳は  その山名の由来は、春先に山に現れる雪形が農具の「えぶり」を持った人形「えぶり差しの爺や」(「杁差しの爺や」と表記されている)と認識されています。https://yamap.com/mountains/1178 
 しかし、昔から「えぶり」を「杁」、「朳」と混在して表記するのはなんでですかね?昔の手書き時代の場合、書き間違い、写し間違いということでしょうか?  ワープロ、PC以前の漢字表記のルールの知識はありませんが、現在では上記yamapにあるように、『「えぶり」の文字がJIS X 0208に含まれていないために「朳」に似た文字を使った「杁」(木+入)という表記があるが、正しくは「朳」(木+八)で、えぶり差岳の山名も「朳差岳」でしょう。しかし、相変わらず混同も続いており、それを嫌って現在は、ひらがなで「えぶり差岳」と、しているものと思われます。 以下、えぶり差岳の標記例を示します。
 
 1.朳差獄 陸測図 S8/11/30発行(ただし読みは、いぶりさしだけ)
 
2.杁差岳、朳差岳 越後山岳創刊号 S23/2/5発行(山行はS18/4/25) 

3.朳差岳 地理院地図5万図 S40年修正(読みは、えぶりさしだけ)

 4.朳差岳 ニッチ飯豊朝日地図 1967年(S42)(読みは、いぶりさしだけ)

 4.杁差岳 ニッチ飯豊朝日説明書1967年(読みは、いぶりさしだけ) 

現在の地理院地図は、ひらがなで「えぶり差岳」 朳杁混交が続いていますが、さすがに国土地理院は「朳差岳」を使っていますね。ここで「いぶり」、「えぶり」の乱れは不問とします。下越で、「い」と「え」の混交があるのか知りませんが、「飯豊はエエなあ」「飯豊はいいなあ」と普通に混交すると思いますので。

0 件のコメント:

コメントを投稿